雨の日
「あ、やば…」
「どうしたんだ?」
ふと、冷蔵庫に貼ってある紙に目をとめたナルトが小さく声を上げたのが耳に入って、我愛羅は軽く首を傾げた。
「ん、ああ。おとつい出した報告書に付けなきゃいけなかった書類、付け忘れたみたいなんだよなー……。んー…わるい、ちょっと出てくるってばよ。一時間くらいで戻るから。帰って来たら飯食いに行こうな。」
そう言うと、ナルトは貼りっぱなしになっていたらしい書類を手に飛び出して行った。
呆気に取られたまま、その背中を見送って我愛羅は小さくため息をついた。
「相変わらず、せわしない奴だ…」
呆れてもらした呟きには、愛しさが混じる。
ベランダに出て、下を見ると走って行くナルトの背中が小さくなって行くのが見えて、すぐに見えなくなった。
湿った風を感じて、ふと、上を見上げれば、いつもより低い灰色の空。そう時間をおかず降り出しそうだな、と思った。
雨は嫌いじゃない。
砂の里の雨期も悪くないが、柔らかい音を立てて降る梅雨の雨を、我愛羅はなんとなく気に入っている。この里同様に、どこか暖かい気配がするから。
昨日は雨の中、二人で散歩をした。
雨が苦手なナルトが、どういう風の吹きまわしか、出掛けようと言い出したから。
考えてみれば、この里に来るようになって大分たつが、雨の日に外に出ることはあまりなくて、いつも窓ごしに降る水滴を眺めるばかりだった。滝のようでない、やさしい雨が降る外には興味があったし、ナルトがやけに楽しそうだったから、すぐに頷いた。
傘が一本しか無くて、傘が売っている雑貨店までしょうがないからふたりで入った。
傘にあたる雨の音、濡れて鮮やかさを増した緑。ぬれないように自然に近づくいつもより近い距離。
ナルトは終始ご機嫌で、話す間も笑いが絶えない。
だから、我愛羅もつられるみたいに、笑っていた。
それは店に着いてしまうのが勿体ないような気がするほど、心地いい時間で、あんな風にまたどこか行くのも悪くないなと思う。
部屋に入り、窓際に寄せらた椅子に座ると伏せておいた読みかけの本を開く。
できてしまった空白の時間を埋めるみたいに我愛羅は、ゆっくりとページを操った。
読み終えた本を閉じて、我愛羅は軽く目頭を押さえた。ひとつ息をついて、時計に目をやる。
半刻ほど進んだ針に、どうしようかと、しばし頭をめぐらせた。
その時、小さな音が聞こえたような気がして我愛羅は窓から外を見た。
「ああ、降ってきたな…」
ぱらぱらとまばらに落ちる水滴は、いくつもの丸い跡をつくり、やがて、くっつきあって、町の色を変えていく。
しばらくぼんやりとその様子を眺めていて、我愛羅はそういえばナルトが傘を持って行かなかったことに気がついた。
「………」
玄関の方に顔を向け、少しの間思案する。
迎えに行こうか。
降り出した雨はさほど強くはないけれど、でも、傘がいらないほど弱くもない。
我愛羅はそこまで考えて、ふっと笑った。
言い訳だ。本当はただ、迎えに行って驚く顔が見たいだけ。
決めてしまえば、迷うことなど何もない。
閉じた本をその場に置いて、我愛羅は玄関に向かう。持っていく傘を出そうと昨日、ナルトが傘をしまっていた納戸を開いた。
「……?」
中には昨日使った二本の傘と一緒にしまわれた数本の傘。
理由も目的もよく分からなかったが、どうやら担がれたらしい。
始終機嫌のよかった彼の顔を思い出して、まあ、いいかと我愛羅は思う。
一つの傘で歩くのはなぜかとても楽しかったから。きっと、ナルトも同じに違いない。口
の端に笑みを浮かべて、我愛羅は納戸から買ったばかりの自分の傘をだして、少しだけ
迷ってからナルトのものも出す。あえて、昨日、彼が使っていたのとは違う色の傘。だっ
て、ただ騙されてやるのはくやしいじゃないか。我愛羅は小さくほくそ笑む。
二本の傘を手に玄関を開けて外にでて、昨日は二人でおりた階段を今日は一人でゆっくり
とおりる。
ぽんっ、と音を立てて傘を開いて、慣れた足取りでアカデミーへ向かう道を歩き出した。
ぱらぱらと雨が傘に当たる音に目を細めながら、道端に目を向ければ、咲いているのは雨に濡れて色を増した紫陽花。
鮮やかな青は、一番好きな色を思い出させる。
早く会いたい。
地面にできた無数の波紋を踏みながら、我愛羅は足を早めた。
やがて、アカデミーが見えてくる。
玄関口で困ったみたいに、空を見上げる見慣れた姿を見つけた。
「ナルト。」
小さく名前を呼んだ声に、ぱっとこちらを向いた鮮やかな青い目が、我愛羅をとらえて、驚いたように大きく見開かれる。
それから、くしゃりと子供のような顔で笑った。
思った通りに。
「我愛羅!」
名前を呼んで、ナルトは雨に濡れるのも厭わず、大急ぎといった様子で、駆け寄ってきた。
「馬鹿。濡れるだろう?」
向かい合う距離まで来て、我愛羅はそう言ってナルトに傘をさしかける。
「さんきゅ。なあ、迎えに来てくれたのか?」
「ああ、雨が降ってきたからな。ほら。」
嬉しそうに弾んだ声に、答えながら我愛羅は、持ってきたナルトの傘を差し出した。
あ、とそれを見てナルトは、決まり悪げに目を泳がせてから、無表情を装った我愛羅をちらりとうかがった。
無言の見つめ返す我愛羅にナルトは、ぽそりと口を開いた。
「…あー…ちょっと出来心で…ゴメン。」
そう言って上目使いで我愛羅を伺うナルトは、まるで叱られた犬のような顔で、我愛羅は無表情を保てず、目元を和ませた。
「別に怒ってなどいない」
それから、少し考えて続けた。
「オレも楽しかったから。」
ナルトの表情はぱっと明るくなる。
なぜか、恥ずかしいような気持ちになって、我愛羅は少し乱暴にナルトに傘を押し付けた。
「行くぞ。」
「あ、待てってばよ!」
くるりと背中を向けて、早足で、歩き出した我愛羅を、ナルトが追いかける。
「なあ、せっかくでて来たんだからさ。一楽に寄ってこうってば」
追い付いて、横に並んだ彼は、無邪気にそう要って笑って、我愛羅の手をつかんだ。傘のせいで開いた距離が詰まる。
うなづけばまた、ナルトが、晴れやかに笑って、我愛羅はああ、来て良かったな、と思った。
雨も晴も、くもりでさえも、ナルトが隣にいるだけで鮮やかに色が変わる。口にはとても出来ないけれど、我愛羅は鮮やかに見える景色に目を細めた。
FIN