リトル・グッバイ

 

 

青かった空がうっすらと黄色味をおびて、少しずつ紅が濃くなって鮮やかなオレンジに染め上げられていく。

ああ、もう時間が来る。さようならの時間。二人での時間がもうすぐ終わる。

今日のさよならは終わりなんかじゃなくて、ちゃんと次があるってことはわかってるけど。それでも、次は決して明日じゃないから。遠くは無いけど近くも無い。

いつも、さよならが近づくたび、俺の口数は多くなり、お前の口数は少なくなる。

話すことがあるかぎり、さよならが遠のく気がして、オレは馬鹿なことばかりをしゃべり続けてる。

本当にどうでも良いような。それでも、話すことがあるだけ安心するんだ。

お前は俺の話にあいづちなんか打ちながら、俺の話につられたように、時々ふっと笑って。そのあと少しだけうつむいた。

横目でこっそりのぞき見たお前の色の薄い目の中にひっそりと寂しさが浮かぶことに、嫌だけど嬉しさがこみあげて。

繋いだ手の力が強くなるのは別れたくないからだ。

離れたって一人じゃないってことを確認したいからだ。

お前もそう思ってるって確かめたいからだ。

薄い手の平の感触が切なくて愛おしい。

本当はずっと一緒にいたいんだ。毎日毎晩お前の顔を見て、笑って、泣いて、怒って、色んな感情をないまぜにして、お前の全部抱え込んで生きていたいんだ。

わかってる。そんなの無理だってこと。だから、オレは口には絶対しねえの。

代わりにオレはくだらない楽しいことだけ話してる。お前が笑ってくれるように。

叫びだしたくなる気持ちを押し殺して。そうして、オレが笑ってたら、お前はちょっとほっとするだろう?だから、何度だって笑えるんだ。

なあ、オレ達は出会ってから数え切れないほど、さよならをしてきて。

何度も何度も繰り返すたんび、俺の中でお前への感情が大きく波打つようになってく。

一緒にいたいって願望がどんどん大きくなってく。

どうしても口に出せない願いは俺を内側で膨れ上がって、今にも破裂しそうな圧迫感が、少し苦しい。

でも、お前に悲しい顔、させたくないんだ。苦しい顔、させたくないんだ。

そんな顔見たくないから、言わないでオレは笑う。

いつか、願望がオレを突き破って、叫びだしてしまうことに少しおびえながら。

だいじょうぶ。まだだいじょうぶだよ。

ちゃんと我慢できるから。

オレはちゃんと上手く笑えているはず。

それなのに、水でも入ったみたいに鼻の奥がツンと痛んだ。

歯を食いしばっても止まらない切迫感を、ごまかすようにオレは、両手を伸ばしてお前のやせっぽちな身体をふざけた振りでぎゅっと抱きしめる。

触ってる場所からもうすっかり馴染んだお前の体温が服ごしに伝わってきて、目を閉じて、その薄い肩に耳をつけるみたいにしたら、コトコトと小さくお前の心音が聞こえた。

じっとその音を聞いていると、少しだけ不安が和らぐ気がして、オレは縋る手を強くする。

人並みの中で親とはぐれてしまいそうな子供のように。自分が独りきりじゃないこと確かめたくて必死で。

もうすぐ離れる温度、匂い、声、感触。

俺の中でただ一つだけたぶん、確かな存在。お前は、まるでそんなこと思ってもいないだろうけど。でも、お前と居るときだけ、今は本当に一人じゃないんだって信じられるんだ。

だから、だから………。

「どうしたんだ?」

穏やかな声と一緒に繋いでいないほうのお前の手が背中に回って、そっと、オレの肩甲骨の辺りを撫でた。

その声と感触があんまり優しくて、何かがこぼれだしそうになる。

あと少しでまた、離れてく、けど。

少しだけひきつった顔を見られたくなくて、背中を丸めて我愛羅の肩に顔をうめた。

だいじょうぶ。これはほんとうのさよならなんかじゃないし。

オレはもう、ひとりなんかじゃないんだから。

だから、へいきなんだ。

「なんでもないってば。ちょっと甘えたくなっただけー…」

おどけてみせた声は、ちゃんと笑えてて。そのことにほっとした。

それでも同時に、きっとオレが考えていることなんて、お前には解ってしまっているのかもしれないなって思った。だって、何も言わないでこんな風に抱きしめられていてくれるから。

目線だけそっと上げて、我愛羅の肩越しに見た空は、燃えるように、燃えるように赤くて。あんまりにもその色が鮮やかで、痛むように記憶に焼きつく感じがした。

後は暗く燃えつきえる寸前の鮮やかな赤。

空の色はオレの抵抗なんてものともしないまま、着実に時間を刻んで。

その色に、封じられたみたいに、オレは次の言葉を見失う。

言葉が止まるのは、別れの合図、だ。

離れがたい腕を必死に引き剥がすようにして、勢いをつけて僅かに距離をとった。

くっついていた身体の間に入り込んだ空気がひやりと冷たい。

俯いた顔を上げて、頭の後ろで両手を組んで、オレは精一杯の笑顔を作った。

「ゴメン!!そろそろ時間だよな!!他の奴らはもう正門のトコで待ってるんだろ?」

急がなきゃな!って、わざとらしいくらいに明るく言って、我愛羅の顔を見ると、我愛羅は何も言わずにじっとオレの顔を見つめて、何かをためらうような、迷うような表情をした。それから。

「っちょ……我愛羅!?」

のばされた細っこい両腕に引き戻されて、驚いてじたばたとしながら、思わず声を漏らすと、その腕にぎゅっと力が入って、ぽつん、とお前の声がふってきた。

「笑わなくていい。」

「…え?」

「無理して…笑わなくても、いいんだ。」

静かな声だった。胸の中に落ちてきて、じわじわと広がる。

ふいに与えられたオレの全部を赦す声。

お前の声がやさしくて、痛くて。触る手があんまり心地よくて、そんなことねえよってって笑えたらいいのに、もう、どうにも出来なくてオレの表情が抜け落ちる。

なあ、それでいいの?

オレが笑えなくても、お前はオレをおいて行ったりしねえの?

それでも、お前をしんどくさせねえでいられるの?

なあ、お前のやさしさに寄りかかってもいいのか?

それでも、そばにいてくれる?

言葉が、胸に、詰まる。

さよならしたくないんだ。ずっと不安が止まらないんだ。

何処にも行かないで、オレのそばにいてほしい。

ずっと抱えている願い。堰を切ったようにあふれ出す感情が、それでも最後の理性を持ってのどを塞ぐ。

だって、それは、オレもお前もいえない願い。

だから代わりみたいに涙がぼたぼたとこぼれた。

「また、あえるよな…絶対、あえるよな?」

「あたりまえだ」

縋るみたいに我愛羅の服の背中を握り締めながら、せめて約束が欲しくて、聞き分けのない子供みたく確実性のない問いを繰り返すオレに我愛羅はオレの背中を、抱き返して、ただ、オレの欲しい言葉だけくれた。

「次は、お前がオレの所にくるんだろう?」

本当に当たり前みたいに、お前の声が、昔は決して言葉にしなかった未来を紡ぐ。

ハナをすすりながら頷けば、少しだけ笑う気配がした。

「ちゃんと待っている。」

ちゃんと、また会える。囁くように、オレに、自分に言い聞かせるような響きを持ってそう、我愛羅は言った。肩越しに顔をあげる気配がして、我愛羅も同じ赤く染まった空を見上げたことがわかった。

赤を通り越して青みが入り、紫から群青に、そして、深い藍色の夜が来る。その前に。

今日の小さなさよならを。

これが本当のさよならにならないことを信じながら、祈りながら。

「うん…」

さよならはいつも壊れそうなほどきついけれど。

ちゃんと、また、会える、から。そのはず、だから。

不確定の未来に縋るようにしながら、オレ達は小さな別れを繰り返す。

同じものみたいに思える手を離して。いつも、不安は抱えたままでも。

さよならのかわりに、じゃあ、またなって、手を振って。

何度でも遠くになってく背中を見送るから。

重ねる小さなさよならの向こうに、いつか本当のさよならがやってくるんだろう。

必ずいつか、きっと、気付かないうちに忍び寄る。

始まったら、必ず終わりがあるってこと。

オレ達はよく解ってる。

永遠なんて、何処にも無いから。

解っているけど、いつかやってくる本当のさよならがずっとずっと遠い場所にあってほしくて。それまで、一秒でも長くお前の側にいられるようにって思った。

 

でも、さ。それでも頭のどこかで願うことがやめられないんだ。

ずっと一緒にいたい。

朝も昼も夜も。

もうさよならしなくていい場所で、ずっとふたりで生きてみたい。

いつか、願いが叶うなら。

 

 

                            Fin

 

 

そして、ほんの少しだけ先の未来、願いはかなう。

とても、悲しい形で。

まるで叶わないはずの夢を願った強欲な俺達への罰みたいに。