久しぶりに訪れた部屋で、ナルトが煎れた熱いお茶を飲みながら我愛羅はいつものように
窓にもたれて外を眺めていた。
木の葉の里の冬は恐ろしく寒かったが、彼の部屋の中はストーブやら炬燵やらでよく温め
られていて過ごしやすい。ストーブの上ではしゅんしゅんと薬缶が湯気を上げている。
そういえば、今年は色々買い足したとか言っていたな、と思い出す。それが自分のためじ
ゃないか、と思うのは己惚れだろうか。
外との温度差で曇った冷たい窓ガラスをぬぐうと、ひとつ、またひとつと灯っていく町の
明かりが見える。あの、ぼんやりと灯る光のひとつひとつが誰かの居場所だ。
昔、目を背けずにはいられなかったそんな光景が、とても暖かいもののように見えるのは、
たぶん、自分もそういう灯りの中に居場所を見つけられたからだと我愛羅は思う。
その場所を作ってくれた、当の本人は、少し前、すぐに帰ってくるから、と寒い中出かけ
ていった。鳩が来ていたから、急な呼び出しでも受けたのだろう。
見上げた空はどんよりと灰色の雲におおわれている。
今夜中に雪が降るでしょうとつけはなしたテレビが告げていた。
我愛羅は持っていた湯飲みを、テーブルに置き、少し考えてからソファにおかれたひざ掛
けを羽織る。ベランダに出られる窓を開けると、冷たい風がひゅうと吹き込んだ。
その冷たさにわずかに身をふるわせたが、置いてあるサンダルをつっかけて外に出る。
吐く息が白い。
さほど広くないベランダの手すりから、少し身を乗り出すようにして下をのぞいた。
それほど遅い時間ではないのに、ぽつぽつと道を照らす街灯の下の人影は少ない。
時折通る者も足早に家路を急ぐ。
手すりに乗せた両腕に頬を埋めるようにして我愛羅は、ぼんやりと空をみあげた。
「まだ、降らないな…。」
冷たい空気に満たされた街はあまりに静かだ。重たい雲に覆われて月も見えない夜。
待つ時間はゆっくりと過ぎていく。
そのままの姿勢で、どれくらいの時間がたったのだろう。聞きなれた足音が耳に届いた。
後を追うように声がする。
「我愛羅!お前そんなトコでなにやってんだよ!」
下をのぞきこむと分厚いコートを着込んだナルトが驚いたような顔で、こっちを見上げて
いた。その姿に、自然に笑みが浮かぶ。何か言おうとするよりも先にナルトは、いかにも
大急ぎという様子で、アパートの横の街路樹を足場にして、あっという間にベランダに着
地していた。
「あー!!もう!!!お前ってばなにやってんだってばよ!完全に冷え切ってるじゃん
か!!」
そんな言葉と同時に抱きしめられる。そう言うナルトの身体も冷え切っていた。
我愛羅は、胸を押すようにして、少しだけ抱きしめられた身体を離して、不満げにしかめ
られた顔を見上げる。
「おかえり」
「…ただいま」
当たり前のようにかけられる言葉に、虚を突かれたような表情で、ナルトはギクシャクと
身体を離す。
それから、照れたような顔で目をそらし頬を掻いた。
「あー寒い、よな。…中、入ろっか。」
「…そう、だな。」
うなずいて、名残惜しくもう一度、空を見上げる。ナルトもつられるように空をみあげた。
あと少しなのに、と思ったその時、重たげな雲から、ひらりとこぼれた白いもの。
堰を切ったように落ちてくる白い雪。
受け止めるように手を伸ばす。隣を見れば、ナルトも手すりからもを乗り出すようにして
空を見上げている。その視線に気付いたのか、ナルトも我愛羅のほうをちょっと見て笑っ
て言った。
「お前が待ってたのって、コレ?」
「…ああ。……いや…。」
問われる声に、一瞬うなづきかけて、我愛羅は小さく首を振った。
「じゃあさ、俺?」
一瞬ぐっと詰まった我愛羅に、ナルトはにんまりと笑う。
「図星?」
「さあな。」
ぷいと目そらした顔を追いかけるようにして、にやにやとのぞきこんでくるナルトの鳩尾
に冗談半分の軽い当身をくらわせてやる。軽いもののそれは、的確に急所に入ってさすが
のナルトもしゃがみこんだ。
「ひでえよ…があら〜…冗談じゃん…」
うずくまって腹を抱えながら、うらめしげな顔で見上げてくるのに少し笑う。
きっと本当のところなどバレバレなのだろうと思ったが、そんなことは本当にどうでもい
いことなのだと我愛羅は思った。
「風邪をひく。もう入るぞ。」
落ちかけたひざ掛けを羽織りなおして部屋へと続くドアをあける。暖かい部屋の空気が頬
をかすめた。ふりかえると、ナルトしゃがんだままで、まだ空を眺めていた。
視線に気付いてゆっくりと立ち上がり、少し笑って見せた。すぐに後ろから扉に重なるよ
うに手がかかる。落ちてきた唇を目を開けたまま受け止めた。かさりと冷たい感触がいつ
もと違って、不思議な感じがした。
「こーゆーときはさあ、目を閉じろって言ってるだろー…」
笑いを含んだ軽い文句を、鼻で笑って返して。それにナルトが声をたてて笑う。
それから、ふと笑いをおさめて、ぽつりと呟いた。
「明日、積もるかな。」
「この調子なら、積もるんじゃないのか?」
雪は次第に大粒に変わって、景色がかすむほどに降りしきっている。道も、屋根も、うっ
すらと白く変わり始めていた。意味をはかりかねて首をかしげた我愛羅に、ナルトはそう
だよな、とゆるく頷いた。
「なんなんだ?」
「ん、明日さあ、雪が積もったら、朝早くにどっかいこうってばよ。」
先を促すように空色の目に目線を合わせると、ナルトは小さく笑って続けた。
「雪の日の朝は人も少ねえしさ、あちこちうろうろしねえ?我愛羅さ、まだ雪とかめずら
しいだろ?考えてみたら、前もその前も雪の日には外にでなかったしさあ。だから、デー
トついでに新しい雪に足跡つけたり、雪だるまとか雪ウサギとか、かまくらとかつくった
りしねえ?」
「……子供か。」
呆れたように言われて、ナルトは口を尖らせた。
「いいじゃん!!オレは、明日、お前と、そういうのがしてーの。いいだろ?」
断られることなんか微塵も考えていないような表情に我愛羅はわずかに口元をゆるめた。
それから、腕を組んでせいぜいえらそうに言ってみせる。
「しかたない。つきやってやる。」
その返事にナルトが本当に幸せそうに笑って、それだけで己のひどく欠けた部分が満たさ
れていくような気がした。
温められた部屋に入り、窓を閉める。カーテンも閉めようと手を伸ばして、もう一度外を
見やる。降りしきる雪の中でぽつぽつと灯る家の灯り。同じような明かりの中に自分とナ
ルトが居て。それはかつて決して手に入らないと思っていたものだ。
やさしい光。すぐ側にある温もり。
かつて長く妬み、嫉み、羨望したそれ。
それが今、自らの手の中にあることを初めて意識した。例えようの無い幸福感。
同時に襲ってくるそれを失うことへの恐怖。ぞっとした。
身体の中心からじわじわと凍り付いていくような感覚。
また、無光のあの場所へ戻っていく可能性への恐れ。
知らず掴んだカーテンを血の気が失せるほど、きつく握り締める。
「我愛羅?」
突然呼ばれた名前と触れた手に、我愛羅は我に返った。身体が震えようとするのを意志の
力で押さえつけ、細く息を吐いて不安定に揺らいだ精神を立て直す。
強張った指を無理やり解いて、ゆっくりと顔をふりむけば、すぐ横に心配げなナルトの顔
があった。
「どうしたんだよ?」
「いや、なんでもない。」
「…そ?ならいいけどな…」
取り繕った無表情で青い目を見つめ返すと、ナルトは納得がいかないという表情ではあっ
たが、それ以上は何も言わなかった。代わりに、体全部で包むように背中から抱きこまれ
る。ナルトの高めの体温が伝わってきて、我愛羅は僅かに身を震わせた。
ことんと、肩に額が当たる感触がした。
「あのさ…」
小さく耳元で囁く聞きなれた柔らかい少しかすれた低い声。
「言いたくなきゃ言わなくてもいいけどさ、オレはちゃんと此処にいるから。お前を一人
になんてしないから。それだけは信じてて、な?」
優しい言葉は同じ不安を含んでいて、だからこそ余計に胸にしみこんだ。
一度、頭の中に棲みついてしまった恐怖が消えるわけではなかったが、それでも、この温
度がそこにあるだけで、いつでも自分は自分を取り戻すことができるから。
不思議なほどに、いつでも。
ナルトには見えない場所で我愛羅はうっすらと微笑んだ。それは泣き顔ともひどく似てい
るような気がした。
「わかった。」
返事に反応したように、包み込む腕に力が入って、すぐに緩む。うつむいた顔を上げると、
肩越しに口を引き結んだ自分と良く似た表情のナルトと目があって、けれど、すぐに彼は
微笑んで見せる。なにも、なかったかのように、いつもと同じ子供のような顔で。
だから、我愛羅も同じように笑って見せた。何も無かったかのように。
歪んだ空気が、緩く日常の色を取り戻していく。
「すっかり冷えちゃったしなー…風呂入る?」
「ああ、そうだな。」
頷いて、離れようとする手を名残惜しく、触れた。冷たく冷えた手が強く、自分の手を握
り返して、その強さに今というものがどれほど確かなものなのかを教えられた気がした。
いつか、一人になるとしても、その時はあの場所へ戻るのではないのかもしれないと思っ
た。たとえ、一人になったとしても、ナルトと出会ってから、その瞬間まで一緒に積み重
ねてきた時間がなくなることは無いのだから。
その瞬間まで積み重ねていく一瞬を精一杯大切にすればいいだけのことなのだ。
だから、今を大切に生きようと決める。彼と共に、その時がくるまで。
そう思えば少しだけ気が楽になる気がして、我愛羅は小さく息をつき、その手を離した。
風呂桶に湯がたまるのを待つ間、暖を取るためにストーブの前にしかれたラグに座って、
入れなおしたお茶を二人ですすりながら、硝子の向こうで降りしきる雪を眺めているとナ
ルトは、そっと我愛羅の耳元に顔を寄せて、秘密を打ち明けるように、ぽつんと呟いた。
「オレさ、誰かと雪遊びとかすんの初めてなんだってばよ…。」
驚いて思わずその顔を見返すと、ナルトはちょっと目を細めて、我愛羅の肩に身体を預け
るようにして続けた。
「オレも、昔、周りに誰もいなかったからさ。」
大きな手が探るように動いて、触れた手をぎゅっと握り締める。
「だから、あしたお前とそういうのできるのがすげー嬉しいの。」
笑う顔に痛みが透けて、共鳴するように胸が疼いた。
目に映った彼の顔はまるで向かい合う鏡のようにあまりにも自分とよく似ていて我愛羅は
息をのむ。彼の抱えた、自分のそれと相似した傷。その痛み。
繋がってでもいるように、それがわかりすぎるほどわかるから、黙ったまま手を伸ばした。
ひげのように見える傷跡をさぐるように頬に触れた手に、ナルトが小さく笑って、同じよ
うに我愛羅の前髪を梳き上げるようにして額に触れた。
その感触と少し取り戻した温度が心地よくて、彼の持つ光も傷も何もかもが愛おしくて、目を細める。
ずっと望んだ灯。たぶん、彼も望んでいた灯。
生きる限りその光が消えないように、努力することは出来るから。
もたれあって座って、顔を見合わせて小さく笑った。
「明日が楽しみだな!」
「そう、だな。」
弾んだ声に答えながら、我愛羅はもう一度手を伸ばして、その頬に触れた。
不思議そうに見返してくる青い目に映る自分の影が見えて、それがとても幸せそうに見えることに気がついた。
ナルトにも同じものが見えていればいいとおもった。
降り積もる雪のようにやさしい記憶が降り積もっていく。
いつか、傷跡さえ見えなくなるほどに。無くなるわけではないとしても…。
fin
雪降る夜