109日の夜に

 

そもそものことの始まりは、思い返してみれば、八月の暑いさなかの夜のことだった。仕事を終えて、珍しく午前0時を回らずに本宅へ帰宅した我愛羅は、のぞいた居間で妙な光景を目にすることとなった。

明るい部屋の大きなちゃぶ台の前で、真剣な顔でせっせと二本の棒を動かしているテマリとその様子をコーヒーをすすりながら眺めているカンクロウ。

台の上には大きめのかごが乗っていて、この暑いのに山のように毛糸球が積んである。

妙な緊張感をはらんだ(主にテマリが発している)空気に声をかけそびれ、我愛羅はしばし扉の前で立ち尽くすこととなった。

「そこ二目飛んでんじゃん。」

「え!?ほんと?あ…ああ〜……ありえない…もう!!」

「だから、初めはマフラーくらいにしとけって言ったじゃん…。」

「うるさい!!やるっていったら、あたしはやるんだ!!」

「はいはい…ん?おかえり。早かったじゃん。我愛羅。」

「…ああ。何をしてるんだ?」

部屋の入り口で棒立ちになっている我愛羅に気付いて、カンクロウが軽く手をあげる。

かけられた声に気を取り直したように軽く頭をふって、我愛羅は上着を脱ぎながら部屋に入り、必死な様子のテマリにちらりと視線をやってから問うようにカンクロウに目を向けた。なにしろ、任務中にも見たことのないほどの集中ぶりだ。我愛羅が帰ってきたことにすらまるで気付いていない。

カンクロウは音を立てないように立ち上がり、我愛羅の側まできてから、耳元に顔を寄せ小声で耳打ちした。

「テマリは奈良に誕生日プレゼントの手編みのセーターを作成中じゃん。気をつけろよ。

かなり殺気立ってんじゃん…。」

「手編み?」

「そ。愛のぎっしり詰まったプレゼントを贈りたいんだと。で、オレがセンセイを買って出てやったってわけ。」

「!?カンクロウ!!!聞こえてるよ!!そんなんじゃないんだからね!!最近あっち行くたびに世話になってるから!!そのお礼なんだよ!!!−!!あーもう!!また!!!!!!」

「だったら、別に手編みの必要ないじゃん…。なあ?」

まったく余裕の無いテマリに聞こえない程度の小さな声で、カンクロウは我愛羅に囁いた。

「…そういうものか?」

「そういうもんじゃん。」

首をかしげた我愛羅に、したり顔でうなずいてから、カンクロウはやけに楽しそうに笑った。

「手作りのものには愛がこもるんじゃん。」

 

それから約2ヶ月後。我愛羅は執務室の机の前にいた。

明日から3日間の休暇のために詰めた仕事はとっくに片付けて、本当なら夕方には帰宅できるはずだったのだ。

しかし、日付はすでに1010日にかわろうとしている。

仕事はどうにか終えた、が。

そっと、引き出しを開ければ入っているのはいるのは二つの繭と小さな手紙だ。

誕生日に合わせて休みを取れたというナルトからの知らせ。一番新しいものには10日の朝方にはこっちにつくとうれしそうな字で書いてある。

いつもなら、じわりと胸が温かくなるのに、今感じるのはあせりばかりだ。

我愛羅は深くため息をついた。

五日前、大きな砂嵐が来た。

小さなものならともかく、大きな嵐が来れば、砂漠に囲まれたこの里はほぼ孤立してしまう。嵐の間、砂漠を進むのは自殺行為に等しいから、一部の忍を除けば完全に足止めされてしまうからだ。

もともと、彼の誕生日に合わせて休みを取るためにここ一ヶ月は、かなりギリギリのスケジュールを組んでいたのが仇となった。

一週間前から視察に来ていた風の国の役人が足止めされて、昨日までしっかりと交渉に接待にとつき合わされた。その隙間をぬってどうにか一般業務をこなしてはいたものの、彼らが帰った後には、砂嵐で、里の外に足止めを食っていた忍から提出された山のような報告書を処理し、さらに、止まっていた任務の振り分けと調整に忙殺され…。

目の回るほどの忙しさにかまけているうち、ふと気付けばすでに、すっかり夜だった。

それどころか、さっき付き人に言われるまで、休暇のことなど、すっかり頭の中からすっぽぬけていたありさまだ。

とりあえず、仕事だけはなんとか期日内に終わらせたが…。

(プレゼント…。)

今年はセーターをプレゼントする予定だったのだ。

成長期で急に身長が伸びたナルトは、最近、中々ちょうどいいサイズの服が見つからないとぼやいていたから。これから、寒くなる季節だから何枚あっても困ることは無いだろうしと、周りの人間にも色々聞いて、この間の視察中にほぼ、どれを買うかも決めてあったのだが…。

我愛羅はさすがに頭を抱えた。こんなことなら、もっと早くに用意しておくべきだった…。

思ってももう遅い。後悔は先に立たず役立たず。

明日の朝には、ナルトは到着してしまう。

店はもうどこも開いてはいない。

「…………」

組んだ指に頭を預けて、我愛羅はじっと黙り込んだ。この危機的状況を打開するための策は…。仕事に疲れきった頭をさらにフル回転させる。

(店はあいていない…、プレゼントはセーター…、あと10時間後にはナルトが着く…、それまでに用意するには………くそっ…)

その時、ふと二ヶ月前の出来事が浮かんで、我愛羅は、はっと顔を上げた。

「カンクロウ!!」

突然閃いた解決策。バッと立ち上がって我愛羅は目にも留まらぬ速さで、身支度を整えると我愛羅は執務室を飛び出した。

 

 

「あ、おかえり。おそかったじゃん。…ってどうしたんだよ?」

一足先に帰宅して、テレビを見ながら食後の番茶をすすっていたカンクロウは、ものすごい勢いで居間に飛び込んできた弟に目を丸くした。

「…カンクロウ、頼みがある。」

「とりあえず、すわるじゃん。お前も飲む?」

横においてあった湯飲みに、ちょうどよく冷めた番茶をそそいでやり差し出すと、向かい側に座った我愛羅は目だけで軽く礼を言ってそれをあおり、軽く息を着く。

それを見届けてから、カンクロウはテレビを消してあらためて声をかけた。

「で、どうしたんだよ。お前がお願いだなんてすっごいめずらしいじゃん?」

冗談めかしてカンクロウがそう言うと、我愛羅は真剣な顔で見返してきた。

少しの間、どういうべきなのか迷うように口ごもったあと、思い切ったように彼は口を開いた。

「オレに編み物を教えてくれ。」

「はあ?」

どうにも間抜けな返答になってしまったのは仕方ない、とカンクロウは思った。

それをどう取ったのか、我愛羅は生真面目な顔のまま続けた。

「明日の朝までに、セーターを一枚仕上げたい。無理を言っているのは解っているがなんとかならないだろうか?」

「あ、ああ…。ちょっとまて、セーター?しかも朝まで?なんで…ああ、あいつにか…。」

「無理、だろうか?」

困り果てたようにこっちを伺ってくる弟に、カンクロウは遠い目になった。

この間の砂嵐のせいで、さっきまで我愛羅は仕事に追われていたはずだ。そうでなくても

明日からの休暇を取るために、この二ヶ月ほど丸一日の休暇はほとんどとっていなかったはずだった。そうとう疲れているはずなのに、編み物。しかも初心者。しかも朝までに。

はっきりいってむちゃくちゃだ。でも。

いつもはひどく大人びて見える我愛羅が、今は歳相応の必死な顔をしている。

木の葉の里のアイツのために。

おまけにうっすらと耳が紅く染まっているのまで見つけてしまい、はあ、とカンクロウは大きくため息をついた。

(断れないじゃん…)

今夜は付き合う覚悟を決めて、カンクロウは力強くうなずいた。茶目っ気たっぷりの笑顔を添えて。

「解った。兄ちゃんが協力してやるじゃん。」

「すまない…」

「まかせとけって。」

申し訳なさそうなのと同時に、ほっとした顔で僅かに笑みを見せた我愛羅に、妙に嬉しくなりながら、カンクロウは立ち上がった。

「そうと決まれば、材料がいるな…。ちょっと待っとくじゃん。」

ごそごそと隣の部屋の箪笥の引き出しから一式引っ張り出してくると、ちゃぶ台の上にどさりと置く。色とりどりの毛糸と、編み棒、鈎針。

毛糸は前回テマリが死ぬほど買ってきたものの残りだ。

我愛羅は物珍しげに毛糸だまを一つ手に取った。

「とりあえず、セーターになりそうなくらい残ってる奴はこんなとこじゃん。で、どんなのにすんの?時間ねえから太目の糸ほうが良いんじゃねえかと思うじゃん。」

「…ああ。」

途方にくれたように毛糸玉の山を見つめる我愛羅に、カンクロウはその中から太目の、ついでにあの彼に似合いそうな色をざっとより分けてやった。

我愛羅は、困惑した顔のまま、迷うように暫くそれらを見回した後、その中から深い緑と灰色がかった茶色をより合わせたような糸を手に取った。

この中では間違いなくアイツに一番似合いそうな色だな、と関心ながらカンクロウは苦笑をかみ殺した。アイツ絡みのときには本当にこの弟は歳相応にかわいい。いつもの冷静な為政者ぶりが嘘のように。

アイツに出会って、アイツのようでありたいと、我愛羅は変わった。

色々あったが風影になって、努力の末少しずつ里の人間にも認められて、それでも我愛羅はいつも一人きりだった。完全であろうとして、甘えることもなくわがままも言わない。

やりすぎなほど、自分を捨てて仕事に没頭していたのを自分は知っている。

けれど、あの事件の後から、また少しずつ我愛羅は変わっていった。

一回死んで、守鶴を失った後、それまでの硬さが少しずつ和らいでいくのに気がついた。

時々アイツが砂にやってくるようになってから。

我愛羅は甘えないのでもわがままを言わないのでもなくて、その方法をしらなかっただけなのだと気づかされた。

完全であろうとしているのは、それしか自分が他人に必要とされる術がないと刷り込みのように思っているからなのだということにも。

アイツは言う。お前は何したいの?

もう少し力抜いたほうがいいてばよ。

みんなお前のことちゃんと思ってるよ。

俺はさ、お前にもうすこし頼られたいし。

お前といるとほっとするってば。

言葉で、態度で、あの笑い顔で、我愛羅の硬い透明な殻に覆われた心を柔らかく解いていく。結局、それが出来たのはアイツだけで、少し悔しいが、それで得られたものはあまりにも大きくて、カンクロウはしかたないか、と思うことにしている。

あいつのおかげで、ようやく時々顔を出すようになった、我愛羅の育ちきれない子供の部分。そういう部分をせめて、それを知っている自分くらいは守ってやりたいとカンクロウは思う。

どうしたって、この里の中で彼は常に完璧であることを要求され続けるのだから。

その協力の内容が編み物、というのはちょっと笑えるのだが、それもまたらしくていいかとカンクロウは小さく笑った。

「ああ、いいじゃん。太さも丁度いいしそれにしろよ。さ、やるじゃん。ほら、お前はそっち座れ。で、とりあえずこれを読んどくじゃん。」

「なんだそれは。」

一緒に持ってきた薄い本を差し出すと、受け取った我愛羅は小さく首をかしげる。

「誰でも簡単!やさしい編み物教室初級編じゃん。」

テマリが奈良シカマルに手編みのセーターを編むと言い出したときに買ってきた本だ。

編み物の基本が写真入でわかりやすいので、カンクロウが薦めたものだった。

「それを読んでとりあえず流れだけでも頭に入れとくじゃん。解んねえとこは俺がおしえるからさ。そうだな、このへんちゃんと読んどけば何とかなると思うから。俺はコーヒーでもいれてくるじゃん。」

わかった、と返事もそこそこに我愛羅が本に集中し始めたのを見届けて、カンクロウは二人分のコーヒーを入れるためにゆっくりと立ち上がった。

 

二つのマグカップを手に戻ってくると、我愛羅は開いた本をテーブルに置いたまま、鎖編みを始めていた。

「ほら。」

「ああ、すまない。」

本の脇に我愛羅の分の暖かい湯気を立てるカップを置いてやると、本から目を上げないまま我愛羅が小さく礼を言った。

「ん。で、どうよ。出来そうか?」

「ああ。」

自分の席に座りながら、カンクロウが問うと、あっさりとした返事が返ってきた。

まあ、大体予想道理だ。

我愛羅は器用に鈎針を操って、鎖編みを作っている。初めてとは思えない程度にきれいな編み目だった。我愛羅はわりと器用なほうだし、集中力も半端じゃないから始めでつっかからなければ何とかなるだろうと思う。

「わかんなくなったらすぐ言うじゃん。」

「わかった。」

黙々と我愛羅が編み針を操るのを眺めながら、カンクロウは入れたてのコーヒーを一口すすった。まあ、夜は長い。じっくりつきあうか、とカンクロウも久しぶりに編み針を手に取った。

「ここはどう始末するんだ?」

「…ああ、ここは…」

「あ、身頃編むときは、後ろ身頃からな。」

「わかった。」

「お前、けっこう速いから、前身ごろに二本くらい縄編みいれとくか。」

「ああ…」

時々注意や、コツなどを教えられながら、練習を終え、いよいよセーター本体に取り掛かった我愛羅は、集中力のままに初めてとは到底思えないスピードで後ろ身頃にとっかかった。脇目も振らず一心不乱に編んでいく。

カンクロウも負けない速さで異様に複雑な模様のマフラーを編みながら、ときどき、歪みや目の数などを指示を出す。

刻々と時間が過ぎ、後ろ身ごろが、前身ごろが、片袖が、と次々パーツが仕上がって、その頃には我愛羅の手は玄人はだしどころか常軌を逸したスピードになっていた。

不意に手は止めないままで、我愛羅が口を開いた。

「カンクロウはどうして編み物を覚えたんだ?」

「へ?ああ、修行の一環だったんじゃん。チヨバアのとこに弟子入りしてすぐ。手先の器用さを鍛えるためってさ。傀儡使いはみんな通る道じゃん。」

我愛羅が話を振ってきたのが嬉しくて、軽く笑ってそう答えると、我愛羅は興味深げに頷いた。

「そんな修行があるのか…。」

「お前もさ、なんでセーター自分で作ろうと思ったんだよ?明日、一緒に買いに行けばすむことじゃん?」

カンクロウも気になっていたことを聞くと、我愛羅は、はっとしたように手をとめた。

「思いつかなかった。」

「まじで。」

呆然としたように漏らされた言葉に苦笑する。らしいといえばあまりにも我愛羅らしい。

たぶん、プレゼントが買えない→手に入れるには作るしかないという、ある意味短絡思考回路が出来てしまったのだろう。昨日の段階で我愛羅はかなりの疲労状態だったはずだから、思考がそこまで追いつかなかったに違いなかった。

「でもさ、手作りのがいいって。絶対、買ったやつなんかよりアイツも喜ぶじゃん。」

なにしろ、手作りのものには愛がこもるから。

いつか、幼い頃、誰かが言った言葉が頭をよぎった。誰の言葉だっけ、とカンクロウは途切れたみたいに思い出せない記憶を辿る。

そんなカンクロウを知ってか知らずか、我愛羅はぽつんとつぶやいた。

8月の時…」

「え?」

8月の時、お前が言った言葉が頭をよぎった。セーターをどうやって手に入れるか考えたときに。」

ドキリとした。そうだ、この言葉は…思い出した。じわり、と胸が暖かくなる。

カンクロウは我愛羅の髪にそっと手を伸ばしてくしゃり、とその柔らかい髪をなでた。

「そっか。」

「そうだ。」

生真面目に返された返事に小さく笑う。

むかし、妊娠中の母が、くまのぬいぐるみを作りながら、自分に言った言葉。

そんなの買えばいいのに、といった自分に、母はやさしく笑って幼い自分の髪をなでながら特別な秘密を教えるように言ったのだ。

―手作りのものには愛がこもるのよ。あげた人を守ってくれるの。―

大切な思い出の言葉は、ちゃんと自分の中で生きているらしい。

いつか、このことを話したいなと思った。もう少し、たったら。

カンクロウはわざとらしく大きな仕種で我愛羅の髪から手を放すと言った。

「じゃ、早く仕上げなきゃな。もうあんま時間ねえじゃん。」

「わかっている。」

また、手元に集中を始めた我愛羅を、カンクロウはテーブルにひじをついて見つめた。

この時間がやけにいとおしく感じた。

 

 

白々と夜が明け始めるころ、パーツはほぼ全部完成していた。

見守るカンクロウをよそに、スピードは衰えることをしらず、我愛羅は黙々と仕上げをしていく。

肩をはぎ、襟を編み、脇を綴じて、袖をつける。

最後の糸を切り、手元から顔を上げた我愛羅は、目の前に座っているカンクロウに、目線で確認を求めた。

カンクロウはざっと視線を走らせてから、ニコリと笑って頷いた。

「それで完成じゃん。」

ほっとしたように我愛羅が大きく息を吐くのとほぼ同時に、ピンポーンとチャイムがなった。

「お、到着じゃん。ほら、いってやれよ。」

ぱっと、玄関に目線をやった我愛羅にカンクロウが言う。

「ああ。」

視線を合わせないまま、我愛羅は出来上がったばかりのセーターを片手に立ち上がった。

そのままゆっくりとカンクロウの横をすりぬける。

「付き合ってくれて、ありがとう…」

すれ違いざまに聞こえないほど小さな声で、それでも確かに我愛羅が言った。

驚きすぎて、目をまるくしながらカンクロウは通り過ぎた背中をみた。

赤い髪の隙間から見えている耳がうっすらと赤くなっていた。

「………やばい、すごいうれしいじゃん。」

ぽりぽりと鼻の脇をかいてから小さくガッツポーズを決めて、腹のそこから沸いてくる笑いをこらえた。だって、どうしようもなく嬉しかったのだ。

玄関先から、アイツの歓声が聞こえてくる。

愛がぎっしりこもったセーターはきっと我愛羅をしあわせにするに違いない。

母が願ったとおりに。

やれやれ、と肩をすくめて、カンクロウは三人分のコーヒーを入れようと立ち上がった。

ちゃんと空気を読むあいつのことだから、今日はたぶん我愛羅の部屋でのんびり過ごすのだろう。居間に向かってくる足音がしている。

(お兄ちゃんは邪魔しないでおいてやるじゃん。)

おおきく伸びをして、すっかり凝ってしまった首をならす。

「さって、寝るか。」

独り言と一緒に、二人分のコーヒーをテーブルに置いて、カンクロウは自分の分を片手にそっとへやにもどることにした。

                   

 

 

                         Fin